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知られざる「栗山ゴールドラッシュ」 川俣温泉地区 西沢金山跡<レポート前編>

西沢金山 写真の何にもない山らへんに、1300人が暮らした町があったなんて、信じられますか?栗山にはかつて、豊富な金が採れその名を世界へもとどろかせた金山がありました。 栃木県立日光自然博物館さんの企画「西沢金山観察会」に参加しました。 まずは、ざっくりとした歴史 日光自然博物館 ※写真は栃木県立日光自然博物館さんの企画「西沢金山展」より 西沢金山は、江戸時代末期にはすでに金が発見されていましたが、幕府が採ることを禁止していました。「鉛を掘ってるんです」とウソをついて掘り出す連中もいましたが、結局バレしてしまい廃鉱になります。 それから約50年たった1894年(日清戦争らへん)。川俣地区の村民17人が再びゴールドロマンを求めて調査し、「宝があるかも」と感触を得るのです。 栗山と同じ日光市内には日本一の銅山「足尾(あしお)銅山」があったので、「(近くの)足尾で銅が採れるんだから、こっちにもあるんじゃ?」という期待もあったようです。 西沢金山 そして、川俣の調査のうわさを聞いた高橋源三郎さんという1人のキーマンが動き出します。日光市内で質屋をやっていた方です。自らも調査し「宝はぜったいある」と確信を持つのです。すぐに川俣村から金を掘り出す権利を大金で買います。 1896年から本格的な掘り出しがスタート。途中、台風で全ての施設や家が台なしになり、高橋さん個人のお金では経営ができなくなります。 しかし、崩れた土地から新たな金鉱脈が発見されます。1905年(日露戦争らへん)には「西澤金山探鉱株式会社」ができ、高橋さんはその監督や取締役になってその後も活躍されました。 西沢金山 全盛期の1915年頃(第一次世界大戦中)には、約1300人が生活し、病院や学校もありました。今の栗山全体の人口が1500人ちょっとですので、それだけでもすごい繁栄だったことがわかりますね。 金などの採掘の休止と開始を何度か繰り返したあと、1939年(第二次世界大戦らへん)に最後の休止となり、そのまま1972年(昭和47)には廃鉱になったというわけです。 西沢金山 いやー、栗山にこんなところがあったなんてすごい話です。次回の後編では、金山の跡地を巡りってみます。宝探しにもチャレンジしてみますよ。 >>西沢金山跡レポート後編はこちら