これが戦後の土呂部(どろぶ)か。先日、昔の土呂部地区に関するDVD映像「山の分校の記録」をお借りする機会がありました。
さっそく見てみよう
内容は土呂部に小学校があり、31人の生徒がいた頃の様子です。時代は昭和35年(戦後15年)の頃ですね。
印象に残った内容を少しだけ紹介します。
教育「子供は体さえ大丈夫ならOK」
夢中になって、自然と遊ぶ子供たち。素敵な時代ですね。
学校から帰っても親はいない
仕事だからですね。お昼を子供たちだけで食べています。
母は基本畑仕事。それ以外にも、ダム工事や道路の日雇いの仕事。さらに家事全般。休む暇がありません。
父は山仕事。
木を切るのは炭にして現金収入を得るためですね。現代版の炭焼きは『「炭焼き」をしたことありますか?』で紹介しました。とにかく、休む暇がありません。
子供が手伝えることといえば、子もりか水くみくらいだったそうです。あとは毎日、日が暮れるまで自然と遊びます。
夜になると家族そろって夕食になります。でもその後、子供はすぐ寝られるけど、親はすぐに明日の仕事の準備。今では考えられないですが、子供をかまう暇などなかったのですね。
物語の中盤以降
ある日、先生の自費!によって子供たちは町の学校へ3日間留学し、そこではじめて見るテレビに衝撃を受けます。そして、またまた先生のがんばりによってテレビを土呂部の学校で借りることになるのです。
子供たちは、テレビを通してまだ見たことのない外の世界を知り、いろいろなことに興味関心をもち、成長をしていきます。
ちなみにこの子
テレビで木の船の作り方を覚え、完成したものを先生にうれしそうに見せています。なかなか器用です。どこかで見たことがあるかもと思ったら・・・
自治会長キター!。生まれも育ちも土呂部。現自治会長(ボス)でした!雪かきボランティアでも毎回大変お世話になっています。おもかげありますねー!
なかなか貴重な映像を見ることができて、満足でした。
昭和35年の土呂部 5秒コメント
映像の中でボスを発見した深夜、キター!!と声にだし、
ビールで乾杯せずにはいられませんでした