NHK大河ドラマ「八重の桜」、けっこうおもろいです。今は、主人公 八重がいよいよ結婚するところですね。実はこのドラマ、栗山とも歴史的なつながりがあるのを知ってますか?
つながりキーワード①「戊辰戦争」
『どうして栗山に「東照宮」があるのか?』でもふれましたが、戊辰(ぼしん)戦争とは旧幕府(徳川)チーム VS 明治新政府チームです。八重の桜を語る上でも外すことのできない戦いですね。
江戸時代ラストの将軍「徳川慶喜(よしのぶ)さん」は、大政奉還(たいせいほうかん)によって政治を行う権利などを天皇へ返しますが、それだけでコトは収まりませんでした。
旧幕府チームは「やっぱ徳川が中心だよ」、明治新政府チームは「やっぱ徳川つぶさないとだめだよ」・・・そんな流れもあり、最終決戦に入るのですね。戊辰戦争は京都ではじまり、どんどん北に移っていって、函館の戦いまで続きます。
上の写真は戦争の際、会津(あいづ、今の福島県)へ攻めこむ明治新政府チームに対して、ボスのいる鶴ヶ城(今の会津若松城)を背に、勇敢に戦う八重さんです。会津は最後まで徳川命!を貫きます。八重さんはなんと男装し、スペンサーという当時最新の銃をぶっぱなして戦います。
ここで栗山 野門(のかど)地区の登場です。栗山東照宮にある案内板にも、戊辰戦争の文字があります。
八重さんたちも戦ったこの戊辰戦争の中で、「野門地区で徳川のお宝を守る」ことが必要になりました。決して浅くはないつながりです。もともと日光のお宝を会津まで運ぼうとしたけれど、会津はすでに攻めこまれていたので、野門で隠さなくてはならなかったのですね。
つながりキーワード②「松平容保」
今をときめく若手俳優、綾野剛(あやのごう)さんが演じる松平容保(かたもり)さんです。会津藩初代から続く、徳川家と天皇への忠義を最後まで徹底したお方です。
そして、このお方の決断があったからこそ、栗山東照宮が生まれたともいえます。
そうです。戊辰戦争の際、野門のリーダー「小栗久右衛門(おぐりきゅうえもん)さん」に徳川のお宝を守らせたのは、松平容保さんの命令によるものだったのです。
ちなみに、松平容保さんは、戊辰戦争で負けたあとしばらく謹慎されますが、明治13年には日光東照宮の宮司(ぐうじ、神社のトップですね)になります。
今は世界遺産となり、約400年の歴史を誇る 日光東照宮を、当時守り通したお方でもありました。日光東照宮の公式サイトでも紹介されていますよ。>>平成25年は、松平容保宮司が守った日光東照宮へ
次回、野門の民宿を紹介します
八重の桜と歴史的なつながりのある野門地区なのでした。次回はこの野門地区の民宿を紹介したいと思います。お楽しみにー。
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八重の桜と栗山のつながり 5秒コメント
もし、今八重さんが栗山にいたら、
獣害対策としても大活躍したに違いないな