「祭の終わりは地域の終わり」栗山にとっての獅子舞の意味とは?

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前回、「どうして栗山が獅子舞王国なのか?」をお話しました。今回は地元で聞いた話をもとに、獅子舞を含む「祭の意味」を考えてみます。

川俣地区の自治会長「平英一さん」から聞いたお話

自治会長とは区長、その地区のトップの方です。平自治会長は「歩く百科事典」と例えられるほど、栗山のことなら何でも知っているお方です。

愛情かつ丼」で有名な「食事処一平」さんのご主人としても有名です。

左手に持っているのは超レアアイテム。栗山村ができて100周年のときに作られた獅子舞の民芸品です。

その平自治会長はおっしゃいました。

祭りが終わると、地域も終わってしまう

それはどうしてでしょうか?その意味を考えてみました。

町へ出て行った若者たちが、この日のために帰ってくる

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現在の栗山には高校がなく、仕事場も公務員や旅館といったものに限られています。そのため、子供は中学校を卒業すると町へ行き、高校や大学、就職などでそのまま町で生活をするケースが多いです。いくら地元が好きでも、仕事が少ないために地元には残りづらいのです。

栗山の獅子舞は、3匹の獅子舞の他にも、笛、太鼓、謡(うたい)など様々なメンバーで構成されます。これを中心になって担当するのが若者組です(2013年時点)。川俣地区の場合、現在は数え年(昔の年の数え方。生まれた年を1歳として、以後正月ごとに1歳ずつ増やす)で15〜48歳まで。この若者組のメンバーは、普段は町で暮らす方も多いのですが、祭には大集結します。

住んでいる場所は離れても、故郷を思う気持ちは人一倍強い。祭や獅子舞が、

地域の絆をより強いものにしている

といえます。

近所づき合いが1年で最も深くなる期間

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地域の高齢化が進むほど、みんなの助け合いが重要になると思います。同じ地区に住む人どうしでも、大勢で集まって話をする機会はほとんどありません。でも祭では数日間みんなが一緒に深く関わり合うため、人々の強い結びつきが生まれます。

祭をなくしては地域が成り立たなくなってしまうことも、わかる気がしました。山奥に位置する栗山の各地区がずっと元気でいられたのは、祭や獅子舞が人々の強い結びつきを保ってきたことも大きいのでしょう。

かつては「祭>仕事」だった

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このように大事な祭りなので、かつては1週間など長い期間、ぶっ続けたこともあったそうです。

勤務先が栗山でない人は、職場の人に祭のことを理解してもらえるのに苦労したとか。

今後の課題は継続

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若い人が減っているので、「継続」が一番の課題のようです。

今でも、
・開催を平日から土日に変更(町で暮らす人が参加しやすいように)
・小中学生や女性が参加して盛り上げる
・日数や時間などの規模を減らす
などの対応が各地区で見られます。

さらなる方法としてよく耳にするのが、
・近くの地域と一緒にやる
・外部から人を呼ぶ 
・町に出た人が祭の日に休みやすくなるルールをつくる(行政的に)
などもあります。簡単なことではありません。

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栗山では「自分たちでできるうちは、自分たちでなんとかする」といった声もよく聞きます。地域や伝統を誇る気持ちが強いからこその考えで、すごいなといつも思います。

その一方で「自分たちだけではできなくなった時、すぐに今後の作戦をたてる」のは、難しいはずです。これからは 「まだ自分たちでもできるけれど、(対応できなくなる)数年後を考えて、早めに作戦をみんなで考える」そのようなこともますます重要になるのでしょう。

栗山における獅子舞の大切さ、おわかりいただけたでしょうか?獅子舞を継続するため、最近では大学生や高校生など、外部の人とコラボするなどの取り組みも増えてきました。今後どのような進化が見られるか楽しみです。

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