先週の地元「下野新聞」での記事です。営業中止となってからも、女夫渕(めおとぶち)温泉目当てにきて「女夫渕もうやっていないの?残念」という声をよく聞きます。
非常につらい記事ですが、きちんと伝えなければいけません。「廃業残念」という記事はネット上にはすでに多いので、ちょっと視点を変えて。
栗山で最もショックを受けた名湯は、栗山にハマるきっかけとなった温泉でした
はじめて行ったのはもう10年以上前。その頃は東京に住んでいましたが、温泉の専門誌で「栃木のすごい山奥にハンパない温泉がある」と調べて、車で向かいました。 当時は今のように整備された道ではありませんでした。 川俣温泉エリアあたりで覚えているのは、カーブが続いて見通しの悪い崖道でのこと。 車1台しか通れない道幅で、ガードレールの先はすぐ谷。そんな状況で反対側からきたのは観光バス。 道幅が細くてすれ違えないので、仕方なくバックしようとすると… なんと後ろからも車が2、3台くっついているではありませんか! おそるおそる、3台一緒に、崖道を数mバック。一歩間違えたら「100m下にダイブ!」という恐怖。 こんな山奥、二度とこねーぞ! と誓ったのがいい思い出です。※今はそんな道はありませんのでご安心を しかし、秘境の露天風呂は写真で想像するよりもずっと広く(12の露天風呂を合わせるとおそらく県内一)、鬼怒川源流エリアならではの秘湯感も満点で、それまでの運転の疲れや「いつ着くのか?」といった不安は一瞬でふっとびました。 けっこう温泉好きとなった今でも、その時の感動はずっと忘れられません。結局、秘境・秘湯の良さにハマってしまい、そのあとも何度も行くことになりました。 東京から考えた場合「箱根よりもかなり遠い。でも身体や心の芯から癒され、ふとまた行きたくなる」。そんなイメージでした。考えてみるとそれは、栗山の良さそのものでもありました。 ちなみにその頃は、日光市ではなく栗山村でしたが、それは数年前までは知らず「女夫渕温泉があるところ」と覚えていました。わたしにとって、山奥の秘湯のハンパなさ、栗山の魅力を知った1番のきっかけが、この女夫渕温泉だったのです。 たくさん思い出をありがとうございました。 現在は建物は取り壊され更地(さらち)となっています。でも「女夫渕駐車場」としてその名前が残っています。 いまもなお、奥鬼怒へ行く時はこの名物温泉のことをよく思い出します。<参考>下野新聞記事
日光市湯元で2月に震度5強を観測した地震で被災した、同市川俣の女夫渕温泉ホテルの山越稔社長(58)が31日、下野新聞社の取材に7月末で廃業したことを明らかにした。本館や源泉が大きなダメージを受け、地震直後から営業できない状態が続いていた。 本県を代表する秘湯の一つとされ、全国的にも知られる同温泉ホテル。東日本大震災に続いた自然の猛威に、開業から43年で幕を閉じた。 山越社長は「再開も考えたが、ホテル全体が被災した。復旧費用も相当な額になり、苦渋の決断をした。自然の中で多くのお客様に楽しんでいただいたが、自然の力にはかなわない。これまで利用していただいたお客様には感謝の言葉しかありません」と話している。 同温泉ホテルは1970年、奥鬼怒温泉郷入り口の渓谷沿いにオープン。本館のほか12の露天風呂や日帰り入浴施設を備え、県内外から多くの観光客らが利用していた。 しかし2月25日の地震で激しい揺れと突き上げに襲われ、本館などが大きく損壊。直後から営業はストップし、加盟する奥鬼怒・川俣温泉旅館組合や県旅館ホテル生活衛生同業組合も5月末に脱退していた。7月からホテルの解体工事が進められている。