【栗山東照宮】どうして栗山に「東照宮」があるのか?野門地区

家康の里 東照宮というと、日光市の「日光東照宮」を思い浮かべる方がほとんどだと思います。 が、実は栗山の野門(のかど)地区にも「栗山東照宮」があります。 どうしてでしょうか?

どうして栗山に「東照宮」があるのか

DSC_0014 時代は、明治初期の戊辰(ぼしん)戦争までさかのぼります。 旧幕府(徳川)チームと明治新政府チームの戦いですね。 明治政府チームの攻撃はしだいに日光方面にも及びます。 「東照宮なんて焼いてしまえ」という勢いだったので、日光東照宮にあったとされる家康さんのご神体もピンチとなりました。 ※ご神体は神さまがいるものとされた物体(物や自然などが対象)ですね 家康の里 旧幕府チームはあせりました。 そこで、日光より北に位置する、会津(あいづ、福島県)の鶴ヶ城までご神体を運ぼうという作戦を考えます。 しかし、実行途中に会津がすでに攻撃されている情報がはいり「無理じゃん!」となってしまいました。 会津のボス松平容保(かたもり)さんは、ある1人の男にご神体を守るよう命じます。 日光と会津の間に位置する、野門地区のリーダー小栗久右衛門(おぐりきゅうえもん)さん。 小栗久右衛門さんらのナイスキープにより、“お宝”はなんとか無事に守られました。 ちなみにこのお方は、野門の民宿「一乃屋(いちのや)さん」の6代前のご主人です。 DSC_0011 戦争後も、例のブツは誰にも見られることはなく隠されていましたが、長い年月がたち再発見されます。 見つけたのが、またまた一乃屋さんの先代のご主人です。 先祖からは、「“お宝”を見ると目が腐り、さわると手が腐るぞ」と脅されていたそうですが、好奇心が抑えきれなかったのかもしれません。 これが歴史的発見となりました。 「家康さんのご神体が野門にあった」ということで、当時は新聞やらテレビやらですごい騒ぎになりました。 そして昭和45年、「この事実を世間に広く伝えようぜ」と、地元の方たちが中心となって栗山東照宮を作ったのです。 一般の方もお参りできるようになったとうわけですね。

実際に見せてもらいました

家康の里 通常は管理のために扉が閉ざされています。 年に1度だけ、10月に行われる祭にお披露目されます。 しかし今日は特別に・・・ DSC_0010 ご開帳! DSC_0003 ドドーン! 上が家康さん。 下が日光にある山の神さまで、左から太郎山、男体山、女峰山。 家康さんのご神体にはさらにちょっとした秘密があるのですが、それは野門の民宿に泊まって聞くのがよいです。

家康の里になった野門

DSC_0016 民宿一乃屋さんでは、小栗久右衛門さんがボスから授かったお墨付き(宝をたくしたという証明書)や象牙で作られた白笏なども見ることできます。 象牙:ぞうげ、象さんがもつキバのように長くのびた歯 白笏:はくしゃく、笏は偉い人が重要な儀式の時にもつ細長い板 P2117585 野門地区は現在は家康の里として、豊かな自然が残る観光スポットになっています。 民宿で食べられるいろり料理はとくおすすめです。 ※家康さんのご神体については様々な説がありますが、今回の話も1つの説としてロマンを感じてくださいね▼「家康の里」野門の民宿に泊まろう! >>一乃屋さんのホームページはこちら >>大野屋さんのホームページはこちら >>福冨士さんのホームページはこちら