東照宮というと、日光市の「
日光東照宮」を思い浮かべる方がほとんどだと思います。
が、実は栗山の
野門(のかど)地区にも「
栗山東照宮」があります。
どうしてでしょうか?
どうして栗山に「東照宮」があるのか
時代は、明治初期の
戊辰(ぼしん)戦争までさかのぼります。
旧幕府(徳川)チームと明治新政府チームの戦いですね。
明治政府チームの攻撃はしだいに日光方面にも及びます。
「
東照宮なんて焼いてしまえ」という勢いだったので、日光東照宮にあったとされる
家康さんのご神体もピンチとなりました。
※ご神体は神さまがいるものとされた物体(物や自然などが対象)ですね
旧幕府チームはあせりました。
そこで、日光より北に位置する、会津(あいづ、福島県)の
鶴ヶ城までご神体を運ぼうという作戦を考えます。
しかし、実行途中に会津がすでに攻撃されている情報がはいり「
無理じゃん!」となってしまいました。
会津のボス
松平容保(かたもり)さんは、ある1人の男にご神体を守るよう命じます。
日光と会津の間に位置する、野門地区のリーダー
小栗久右衛門(おぐりきゅうえもん)さん。
小栗久右衛門さんらのナイスキープにより、“お宝”はなんとか無事に守られました。
ちなみにこのお方は、野門の民宿「
一乃屋(いちのや)さん」の6代前のご主人です。
戦争後も、例のブツは誰にも見られることはなく隠されていましたが、長い年月がたち再発見されます。
見つけたのが、またまた
一乃屋さんの先代のご主人です。
先祖からは、「
“お宝”を見ると目が腐り、さわると手が腐るぞ」と脅されていたそうですが、好奇心が抑えきれなかったのかもしれません。
これが
歴史的発見となりました。
「家康さんのご神体が野門にあった」ということで、当時は
新聞やらテレビやらですごい騒ぎになりました。
そして昭和45年、「この事実を世間に広く伝えようぜ」と、地元の方たちが中心となって
栗山東照宮を作ったのです。
一般の方もお参りできるようになったとうわけですね。
実際に見せてもらいました
通常は管理のために扉が閉ざされています。
年に1度だけ、10
月に行われる祭にお披露目されます。
しかし今日は特別に・・・
ご開帳!
ドドーン!
上が家康さん。
下が日光にある山の神さまで、左から
太郎山、男体山、女峰山。
家康さんのご神体には
さらにちょっとした秘密があるのですが、それは野門の民宿に泊まって聞くのがよいです。
家康の里になった野門
民宿
一乃屋さんでは、小栗久右衛門さんがボスから授かった
お墨付き(宝をたくしたという証明書)や
象牙で作られた白笏なども見ることできます。
象牙:ぞうげ、象さんがもつキバのように長くのびた歯
白笏:はくしゃく、笏は偉い人が重要な儀式の時にもつ細長い板
野門地区は現在は
家康の里として、豊かな自然が残る観光スポットになっています。
民宿で食べられる
いろり料理はとくおすすめです。
※家康さんのご神体については
様々な説がありますが、今回の話も1つの説として
ロマンを感じてくださいね。
▼「家康の里」野門の民宿に泊まろう!
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>>福冨士さんのホームページはこちら